ある日、ふと視界の中を黒い影のようなものが、ふわりと流れた。鏡で眼をみたが充血はしていない。痛みもない。以前、年配の人から「飛蚊症(ひぶんしょう)」について聞いたことを思い出して、これがそうかもしれないと思った。
慌ててネットで調べてみたところ、すぐに眼科へ行くべしという記事をみつけ、タクシーを呼び寄せて、最寄りの眼科に向かった。
眼科では、視力検査から始まり、あれこれと検査した後、お医者は、「これは、心配することはないです。目の中の濁りや小さな塵のようなものが映り込んでいるだけです」と説明された。
私が想像していた中では、もっとも安堵すべき診断だった。内心、最悪は見えなくなるのかも、あるいは手術をすると言われるかと、想像を巡らせたいたのだ。
そこで私は、「これは治るものでしょうか?」と尋ねたところ―― 「いえ、これは加齢によるものでして、治るものではないですね」と言われた。
「そのうち消えるかもしれないし、このままかもしれない」とお医者は心もとないことを言い、さらに、続けて、 「この症状とは別の話ですが、白内障の初期ですな」と言われた。
白内障で手術をするということは年寄りとしてよく聞く話題なので、私は 「いずれ、手術が必要なのでしょうか?」と尋ねた。
するとお医者は、「今のところはまだ。しばらく様子を見ましょう」と答えられ、さらに「日の光は目に良くないので、外出のときはサングラスが良いです」と勧められた。
そう言えば、近頃、天気のよい日はやたらと眩しく感じるようになっていた。あの「まぶしい」という感覚こそ、兆しであったのであろう。
私は、サングラスを持っていなかったので、ユニクロに足を伸ばして一つ買ってきた。以来、外出にサングラスを欠かしたことはない。
ふと、若い頃仕えていたさる社長の言葉を思い出した。
曰く、「目は口ほどに物を言う、というではないか。その大切な目を隠すような色眼鏡をかける奴に、ろくな者はおらん!」
さもありなん、と思っていたが、ある日、その社長が、うっすらと色のついた眼鏡をかけて職場に現れたので、部下一同あきれたのであったが、今にして思えば、あれは白内障のゆえであったのだと、ようやく合点がいった。
実に加齢というものは厄介なもの。しかし、これもまた、生きている証し――そう思うしかない。
