日記がブームだという。それも手書きの日記がブームなのだという。伴って、日記帳や手帳が売れているのだそうだ。また、日記を出版する人もいるという。
手書きということであるが、私に手書きは無理だ。これは単純な話で、私の字がきたないせいだ。字がきたないと、人に見せるのに臆するだけでなく、自分で見るのも嫌なのだ。なので、こうしたパソコンが世に出て以来、これはありがたい、と重宝して使ってきたのだ。これで書けば、書の達人も私も同じ字を生み出せる。
そうしているうちに、いつの間にか手書きはメモ程度しか書けなくなってしまった。書けない、などというと大げさのようだが、本当なのだ。
さて、なぜ日記を書くことが見直されているだろうか。
私の場合、日記帳や手帳に日記を書いていない。昔から書いたことがない。せいぜい、この「変わり映えしない日々の日記」のように、思いついたことを、適当に書いているくらいだ。これは、特に私の記録という意味での日記ではない。どういう形であれ、アウトプットが自分の頭脳の働きに良い効果を及ぼすかもしれない、つまり、認知症になりたくないものだから、こうしてキーボードに向かっているのだ。
せっかくだから、振り返ってみたときに自分限りだけでも有用であればよいのだが、なかなかそうした内容にならない。第一、日記を読み直すことなど、まず無いのが現実だ。
内容も、いわゆる個人情報にあたる部分はこういう場では書けない。差し障りのない範囲で、偽らず書いていると、毎日同じようなことしかない。しかし、同じような日であっても、なにかしら違うだろうと思いつつ、試行錯誤しながら今に至っているのだ。
話を今流行しているという日記に戻すと、日記帳や手帳に書き綴るようだから、個人情報も、家族や知人に関することも書くのだと思う。しかし、そうだとすると、それを出版するというのは、ちょっと私には解せない。やはり、最初から出版を意識して書くのだろうか、それとも、出版するときに、問題ありそうな部分は削除するとか、幾分手を加えるのだろうか。
今日は、予報に反して午前中は荒れ模様の天気になった。ところによっては雷が鳴っていたようだ。昼過ぎには回復し、青空が広がる良い天気になった。気温は20度にはならなかったようである。

